ねこと野獣
昔々、あるところに、ねこさんが居ました。
なぜか、日本の物語は、昔々から始まるもおのが多い。
幼き頃に聞かされた話が、こんなのばっかりだったから印象にのこっているのだろうか。
過去を振り返るより、未来を見つめないと、日本の未来は開けないぞ。
だいたい、竜宮城に連れて行かれた人がいたところで、それがどうしたと思った。
いじめられている亀さんを助けるのは、いいことだ。
それで、竜宮城に連れていってもらって飲めや歌えや踊れやの歓待を受けるのは、なんとかわかるとしよう。
でも、普通なら人間は鰓呼吸は困難だ。亀の背中に乗って海底まで移動する間の酸素はどうしたのだろう。
疑問は氷解しない。
実は、竜宮城は地上にあったのではないか。
知られざる無人島だったとすれば、話の流れはわかる。
亀の背中に乗って、浦島太郎は、誰も知らない無人島に行ったのだった。
こうなると、無人島の住民が、普通に生きていたという説明もつくだろう。
浦島太郎の物語ができたのは、古い古い昔の話だから、当時の日本には地球儀もなかったし、高速船やフェリーもなかったのだ。メガネをかけた羅漢さんはいたかもしれないが、望遠鏡で海を観察している人もいなかった。海上保安庁もレーダーやGPSは装備していなかった頃の話なのだ。
浦島太郎が連れて行かれた先は、竜宮城と伝えられている。竜が居たら、竜宮城は注文の多いレストランと化していたのかもしれない。乙姫様のご馳走って、どんなだったのだろう。鯛やヒラメの活き造りだったとしたら、むごすぎる。お魚さんがかわいそうだ。でも海だったとしたら、お魚さんを抜きにして、ご馳走は考えにくい。わかめとか、亀の手とか、お魚さん意外にもおいしいものはあるが、それだけでは飽きるし。昔の日本だから、カルパッチョとかを出されると、美味しくても美味しく感じなくてもご馳走と言っていたかもしれない。朝は、コーヒーとスープ。昼はパスタ。夜は、カレー。浦島太郎はいたく感動するだろう。浦島太郎の物語が作られた頃の日本には自動販売機は、まだなかった。だから、コカ・コーラを飲んだことのある人はいなかったのだ。そして、フランスとの貿易も盛んではなかったので、オランジーナを飲んだことのある人も少なかった。コーヒーもおそらく一部の人しか飲んだことはなかったであろう。コーヒーがあっても、まだクリープは発売されていない頃だ。慣れない日本人の舌には苦いものだったことだろう。パスタも、この頃の日本では一般的ではなかった。インスタント食品でも、カップに入ったものは、ラーメンが最初だったと思う。その後、カップに入った焼きそばも発売された。しかし、スパゲッティは、なかなか販売されなかった。浦島太郎の時代には、袋に入った乾麺も売られていたかどうか?そうそう今では日本全国津々浦々で見かけるコンビニエンスストアも、まだ残念ながらなかった。セブンイレブンが豊洲に1号店を出すのは、まだ少し先の話だ。
珍しいものを出されて食べて寝て、仕事もせずに遊んでいると月日は矢のように流れる。少年老い易く学成り難しなのだ。
令和になる時の10連休を有意義に過ごした日本人は、何人いることか。
にゃん様は、寝て起きて、10連休を過ごしたが、最終日が来るのは早かった。何かしたかと聞かれれば、「何もしていない。」ときっぱりと言える。休みは休みなのだ。何もしないで休める日本人は貴重な存在だ。先立つものがなければ遊びに行くこともできない。もし、竜宮城に招待されたなら、10日間、竜宮城に入り浸っていたことだろう。連休前は、海岸に行って、いじめられている亀さんはいないものかと探したのだが、なぜか見つけることはできなかった。そういえば、亀さんは昔話でよく、いじめられる存在のになっている。放生池に逃がすのも亀さんが一般的だ。放生亀は、放生池の近くで、きり丸が売っている。
話をもどそう。
楽しい時間は、すぐに過ぎていくということだ。浦島太郎の話の竜宮城に、牛乳配達はされていなかったことだろう。牛乳瓶のふたを、太郎が集めておいたなら、月日がどれだけたったか、わかるというものだ。ところが牛乳は配られていなかった。太郎は、1日を30分ぐらいに感じながら遊びほうけていたのだろう。そう、実際に月日は流れていたのだ。乙姫様も、ご一緒にお年を召されていたに違いない。しかし、毎日、見ていると変化は感じにくい。実は酸素は顔のパックから供給されていたといったSFチックな話にしようかと思ったが、くだらないことをぐだぐだ書いているうちに、にゃん様の時間も少なくなってきた。学成り難しだ。
最後の大きな疑問。
乙姫様は、太郎に玉手箱を渡す時に、「決して開けてはなりません。」と言ったそうだ。
開けては、いけないものなら、渡す必要はないのではないだろうか。荷物になるだけだし。LCCに乗ろうとすると、あれだけ大きな箱なら別に料金が必要になるかもしれない。宅急便で運んでもらうにしても、運賃はかかる。でも開けてはいけない。わけのわからない箱だ。クロネコヤマトだと竜宮城まで集配に行くのは難しいかも。ネコは水は苦手なのだ。亀さんに乗って帰るにしても、大荷物はつらい。どれだけ大きい亀さんなんだ。もしかすると亀さんの顔をしたスワンボート(運転手さん付)だったのかもしれない。それなら言葉が通じるのも納得だ。でも海岸でスワンボートをいじめるお子様は、あまりいない。話の辻褄を合わせるにはたいへんだ。功名が辻ならぬ、巧妙な辻(褄)だ。
ま、玉手箱の中は鏡ぐらいだったのだろう。
煙に見えたのは、太郎の長く伸びた白髪と、白鬚。
風に舞って遠くからは煙に見えてもおかしくない。
そんなわけで、ネコも野獣も出てこなかった。
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なぜか、日本の物語は、昔々から始まるもおのが多い。
幼き頃に聞かされた話が、こんなのばっかりだったから印象にのこっているのだろうか。
過去を振り返るより、未来を見つめないと、日本の未来は開けないぞ。
だいたい、竜宮城に連れて行かれた人がいたところで、それがどうしたと思った。
いじめられている亀さんを助けるのは、いいことだ。
それで、竜宮城に連れていってもらって飲めや歌えや踊れやの歓待を受けるのは、なんとかわかるとしよう。
でも、普通なら人間は鰓呼吸は困難だ。亀の背中に乗って海底まで移動する間の酸素はどうしたのだろう。
疑問は氷解しない。
実は、竜宮城は地上にあったのではないか。
知られざる無人島だったとすれば、話の流れはわかる。
亀の背中に乗って、浦島太郎は、誰も知らない無人島に行ったのだった。
こうなると、無人島の住民が、普通に生きていたという説明もつくだろう。
浦島太郎の物語ができたのは、古い古い昔の話だから、当時の日本には地球儀もなかったし、高速船やフェリーもなかったのだ。メガネをかけた羅漢さんはいたかもしれないが、望遠鏡で海を観察している人もいなかった。海上保安庁もレーダーやGPSは装備していなかった頃の話なのだ。
浦島太郎が連れて行かれた先は、竜宮城と伝えられている。竜が居たら、竜宮城は注文の多いレストランと化していたのかもしれない。乙姫様のご馳走って、どんなだったのだろう。鯛やヒラメの活き造りだったとしたら、むごすぎる。お魚さんがかわいそうだ。でも海だったとしたら、お魚さんを抜きにして、ご馳走は考えにくい。わかめとか、亀の手とか、お魚さん意外にもおいしいものはあるが、それだけでは飽きるし。昔の日本だから、カルパッチョとかを出されると、美味しくても美味しく感じなくてもご馳走と言っていたかもしれない。朝は、コーヒーとスープ。昼はパスタ。夜は、カレー。浦島太郎はいたく感動するだろう。浦島太郎の物語が作られた頃の日本には自動販売機は、まだなかった。だから、コカ・コーラを飲んだことのある人はいなかったのだ。そして、フランスとの貿易も盛んではなかったので、オランジーナを飲んだことのある人も少なかった。コーヒーもおそらく一部の人しか飲んだことはなかったであろう。コーヒーがあっても、まだクリープは発売されていない頃だ。慣れない日本人の舌には苦いものだったことだろう。パスタも、この頃の日本では一般的ではなかった。インスタント食品でも、カップに入ったものは、ラーメンが最初だったと思う。その後、カップに入った焼きそばも発売された。しかし、スパゲッティは、なかなか販売されなかった。浦島太郎の時代には、袋に入った乾麺も売られていたかどうか?そうそう今では日本全国津々浦々で見かけるコンビニエンスストアも、まだ残念ながらなかった。セブンイレブンが豊洲に1号店を出すのは、まだ少し先の話だ。
珍しいものを出されて食べて寝て、仕事もせずに遊んでいると月日は矢のように流れる。少年老い易く学成り難しなのだ。
令和になる時の10連休を有意義に過ごした日本人は、何人いることか。
にゃん様は、寝て起きて、10連休を過ごしたが、最終日が来るのは早かった。何かしたかと聞かれれば、「何もしていない。」ときっぱりと言える。休みは休みなのだ。何もしないで休める日本人は貴重な存在だ。先立つものがなければ遊びに行くこともできない。もし、竜宮城に招待されたなら、10日間、竜宮城に入り浸っていたことだろう。連休前は、海岸に行って、いじめられている亀さんはいないものかと探したのだが、なぜか見つけることはできなかった。そういえば、亀さんは昔話でよく、いじめられる存在のになっている。放生池に逃がすのも亀さんが一般的だ。放生亀は、放生池の近くで、きり丸が売っている。
話をもどそう。
楽しい時間は、すぐに過ぎていくということだ。浦島太郎の話の竜宮城に、牛乳配達はされていなかったことだろう。牛乳瓶のふたを、太郎が集めておいたなら、月日がどれだけたったか、わかるというものだ。ところが牛乳は配られていなかった。太郎は、1日を30分ぐらいに感じながら遊びほうけていたのだろう。そう、実際に月日は流れていたのだ。乙姫様も、ご一緒にお年を召されていたに違いない。しかし、毎日、見ていると変化は感じにくい。実は酸素は顔のパックから供給されていたといったSFチックな話にしようかと思ったが、くだらないことをぐだぐだ書いているうちに、にゃん様の時間も少なくなってきた。学成り難しだ。
最後の大きな疑問。
乙姫様は、太郎に玉手箱を渡す時に、「決して開けてはなりません。」と言ったそうだ。
開けては、いけないものなら、渡す必要はないのではないだろうか。荷物になるだけだし。LCCに乗ろうとすると、あれだけ大きな箱なら別に料金が必要になるかもしれない。宅急便で運んでもらうにしても、運賃はかかる。でも開けてはいけない。わけのわからない箱だ。クロネコヤマトだと竜宮城まで集配に行くのは難しいかも。ネコは水は苦手なのだ。亀さんに乗って帰るにしても、大荷物はつらい。どれだけ大きい亀さんなんだ。もしかすると亀さんの顔をしたスワンボート(運転手さん付)だったのかもしれない。それなら言葉が通じるのも納得だ。でも海岸でスワンボートをいじめるお子様は、あまりいない。話の辻褄を合わせるにはたいへんだ。功名が辻ならぬ、巧妙な辻(褄)だ。
ま、玉手箱の中は鏡ぐらいだったのだろう。
煙に見えたのは、太郎の長く伸びた白髪と、白鬚。
風に舞って遠くからは煙に見えてもおかしくない。
そんなわけで、ネコも野獣も出てこなかった。
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