石川啄木 日記 明治41年5月6日 - にゃん吉一代記
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石川啄木 日記 明治41年5月6日



明治41年に3度目の上京を果たした、石川啄木の日記だ。
数日間、与謝野夫妻の新詩社で厄介になり、金田一京助を頼って、赤心館に部屋を借りたあたりだ。この頃の部屋というのは、今とは違って旅館と下宿の中間のようなものだったのかもしれない。日記を読み進んでいけば、わかるだろう。当時の物価というものに実感はわかないが、釧路にいた頃の啄木は年齢からすれば高給をもらっていたようだ。「働けど働けど…」というイメージではない。しかし、この先はあまり高給は取れなくなる。

さて、5月6日の日記だ。原文はいつものように、石川啄木 啄木日記さんからお借りした。




原文



五月六日
 晴れて暖かい日。綿入を着て汗が流れる。雑録体の“北海の三都”を七枚許り書き出した。十一時頃、同県の佐々木六太郎君が遊びに来た。東京に来て七八年、未だ何事をもなさぬ男である。恐らくは此後も何事をもなさぬかも知れぬ。然し、去年の夏、岩手山の裾野に二百五十人の人夫を使つて八十万本の落葉松を植ゑた話は面白かつた。山中一ヶ月の生活、二百五十人が一列になつて、利鎌を揃へて草を刈り払ふ様が目に見えた。草の香りがなつかしい。驚いて飛び立つ鶉、雲雀、夏の日が炎々と照り渡つて、目は汗の為めに開けなかつたと云ふ。水は馬に駄して村から運んださうな。
 夕、花明兄と語る。下宿屋の娘の話を二つ聞いた。何れも君が友なる小笠原文学士に関した話で、そして何れも花明君が其男と同宿して居た時の事である。一つは仙台三番町の佐々木といふ家の娘(竹ちやん)半玉に売られて、妾にされて、逃げて家に帰つた時は美しい娘であつたさうな。声もよく踊も上手で、よく母なる人が“香に迷ふ”といふのを舞はせる。半玉になつた時教へられたとかいふ男たらしの目付を、時々やる。年は十五で、満身火の如く燃えて居る女であつたさうな。一つは湯島新花町の蒔田といふ下宿、十八の玉ちやんはまだ小供の様な心を持つて居た。小笠原の弟は俊才で、開業医の免状をとりに来て居たが、いつしか玉ちやんに心を打込んだ。兄はそれを叱つて今后玉ちやんとは話もしてはならぬと命ずる。ところが其后兄と玉ちやんは毎日起居を同じうするといふ具合になつた。弟は僅か二十一で首尾よく免状をとつて郷里に帰る時、“自家撞着”といふ字を沢山かいた紙を兄の机の下に置いて行つた。或夜、男が女の姉の事を何とか云つてから、真白の玉ちやんの心は変つた。そして其激しい情を我が友の上に注いだ。無論これは男へ対する面当だ。其後下宿を変へた。二年許り経つてから柳原で一度見た。今は何処に居るやら……
 金田一君といふ人は、世界に唯一人の人である。かくも優しい情を持つた人、かくも浄らかな情を持つた人、かくもなつかしい人、決して世に二人とあるべきで無い。若し予が女であつたら、屹度この人を恋したであらうと考へた。









明治41年5月6日
 晴れて暖かい日だ。綿入を着てると汗が流れる。雑録体(雑記的な記録文と思う。)の“北海の三都”を七枚ばかり書き出した。十一時頃、僕と同じ岩手県出身の佐々木六太郎さんが遊びに来た。上京してから七〜八年だが、いまだに何もできていない男だ。おそらく、この先も、これといったことはできないかもしれない。しかし、去年の夏、岩手山の裾野に250人の人夫を使って八十万本の落葉松を植えた話は面白かった。山の中で一ヶ月の生活、二百五十人が一列になって、鎌を揃えて雑草を刈り払ふ姿が目前に浮かんだ。草の香りがなつかしい。驚いて飛び立つウズラ、ヒバリ、夏の日が炎々と照り渡って、目は汗のために開けなかったと言う。水は馬に乗せて村から運んだそうだ。
 夕、花明(盛岡時代の金田一京助の雅号)兄と語った。下宿屋の娘の話を二つ聞いた。いずれも金田一さんの友人の小笠原文学士に関した話で、そしていずれも金田一さんが小笠原さんと一緒に泊まっていた時の事である。一つは仙台三番町の佐々木といふ家の娘(竹ちやん)半玉(一人前ではない年少の芸娘)として売られて、妾にされて、逃げて家に帰った時は美しい娘であったそうだ。声もよく踊りも上手で、よく母なる人が“香に迷ふ”といふ舞を踊らせる。半玉になった時教えられたとかいう男たらしの目付を、時々やる。年は十五で、どこを見ても火の如く燃えている女であったそうだ。もう一つは湯島新花町の蒔田といふ下宿、十八の玉ちゃんはまだ小供の様な心を持っていた。小笠原の弟は俊才で、開業医の免状をとりに来て居たが、いつしか玉ちゃんに心をうばわれた。兄はそれを叱って、今後、玉ちゃんとは話をしてもならないと命令した。ところが、その後、兄と玉ちゃんは毎日寝起きをともにするといふ具合になった。弟はわずか二十一歳でみごと医師の免状をとって郷里に帰る時、“自家撞着(同じ人の言動や文章などが前後で矛盾していること。)”といふ字をたくさん書いた紙を兄の机の下に置いて行った。ある夜、男が女の姉の事を何とか言ってから、一途な玉ちゃんの心は変った。そしてその激しい情を我が友(金田一さん)の上に注いだ。むろん、これは男へ対するつらあてだ。その下宿を変えた。二年ばかり経ってから柳原で一度見た。今は何処に居るやら……
 金田一さんという人は、世界に唯一人の人である。かくも優しい情を持った人、かくも浄らかな情を持った人、かくもなつかしい人、決して世に二人とあるべきで無い。もし僕が女であったら、きっとこの人に恋をしたであろうと思った。




 この日の日記もわりと長い。啄木は親しい人の話を日記に書く時は長い。自分が楽しんだり笑ったりした話は、長めの文章で綴っていると思う。しかし、昔の人は博識だ。鳥の名前を漢字で書くのは難しい。まだ勉学に勤しんでいるみぎりであっても、「宇治平等院鳳凰堂」を書くのは、苦手だった。今はたぶん書けないだろう。「鳩」さえあやしい。
 ここで登場する同郷の「佐々木六太郎」さんについては調べてみないと、どういう人かわからないが、啄木が何事も成さぬ人と言っているぐらいだから、あまり有名な人ではないのだろう。たぶん。
 啄木が、「○○兄」と呼ぶ人は兄のように慕える人なのだろう。宮崎郁雨や金田一京助に「兄」をつけている記述がある。この日記では金田一京助を「花明君」と雅号に「君」付けで記述しているところもある。この時代の「君」は、相手を敬った上の呼び方なのだろう。
 明治41年、石川啄木は23歳だ。この年にして、このような日記を書けるのは、やはり天才だからだろうか。文章のリズムなどは真似できない。ひとつのことを表すにも、何通りもの表現を使う。カナと仮名、漢字、記号の使い方まで、いろいろな効果を出している。でも、あまり努力した風にはみられない。





 
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