病院のドア
昔、石川啄木が「病院の窓」というタイトルの小説を書いた。三度目の上京の後に立て続けに発表した作品の一つだったと思う。残念ながら、ほとんど評価されなかった作品だ。当時は明星を代表とする、浪漫主義から自然主義への移り変わりの頃であり、詩から小説へと文学の主流が移っていた頃なのだろうか。
明治のこの時代には、メディアといえば新聞や書籍しかなかった頃だ。表現は文字を並べることでしかできない。この頃の人たちの文字を見ると、上手、下手はあるのだろうが、みんな文字がまとまっているように感じられる。多くの文字が並んでいても、どこかきれいだ。自己を広く表現するには、文字しかなく雑誌や新聞に掲載されない限りは自分で書かなければならなかった頃なので、書くということが多かったのだろう。今では、手書きで書くということが少ない。ワープロやパソコンが一般的になっている。これは、いいことではあるが字を書く機会を激減させる。昔の文学者は意図的に通常の書き方とは違う文章表現で特別な意味合いを持たせた文章を書くこともあったが、文章の約束事は理解した上でのことだっただろう。小学生の頃には、文章の書き方などを習ったが、今では忘れさっている。段落は一文字あけるといった基礎的なことも守らず文章を書こうとしている自分に気がつく。そして、少し前なら手書きのほうが早かったのだが今となってはパソコンの文字入力のほうが早い。そして、手書きの文字はだんだん乱れてくる。漢字など全体的なイメージは覚えていても細かな部分は忘れ去る。ごまかしだけはできるが他人が読むのが難解な字になってしまう。
吉岡秀隆さん、薬師丸ひろ子さんらが出演した、「三丁目の夕日」という映画があった。原作は西岸さんの漫画である。主演の吉岡さんは小説家という設定であった。映画の中でテレビを買うことが大きな出来事として取り上げられていた。吉岡さんの住む雑貨屋の向かいの鈴木オートにテレビが届けられた時には近所の人々が集まって、番組を鑑賞していた。吉岡さんは少年誌向けの小説家だったが、今では少年誌向けの小説はあるのだろうか。小学生に向けた小説とか、中学生を対象とした小説などは記憶にない。先日、劇画原作者の梶原一騎さんの生涯を取り上げた昔のテレビ番組を見た。梶原一騎さんは、「巨人の星」や「あしたのジョー」の原作者だ。梶原さんがデビューした当時は、小説が主流だったようだ。少年誌の主流が月刊から週刊に変わる頃に、少年誌の主流は漫画へと移ってきたようだ。文章のみで表現する時代から、絵と文字で表現する時代になったということだろう。そして、テレビの登場だ。漫画はテレビによって動きのあるものとなり、音も表現できるものとなった。「三丁目の夕日」の中で吉岡さんが演じた小説家、茶川龍之介は、この時代の小説家だったのだろう。表現方法の急速な変化の中で翻弄された人も多くいたことだろう。時が違うなら大きな評価を受けたかもしれない人もいるのではないかと思う。
すべての表現を手書きで行っていた頃と今は大きく違う。昔は、詩や小説など文字での表現か絵画での表現、挿絵など。そして、誰もが写真を交えた表現も可能になった。さらにyoutubeなどを使えば動画も可能だ。動画の編集もできるようになっている。表現の多様化のなかで文章というものを見直したほうがいいのかもしれない。携帯やスマホやタブレットの普及で屋外でも文字入力は可能になったとはいえ、必ず手書きで書く必要は残る。出張でビジネスホテルにチェック・インする時に、住所や名前の文字がだんだんまとまりをなくしていく自分の字に気がつく。
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明治のこの時代には、メディアといえば新聞や書籍しかなかった頃だ。表現は文字を並べることでしかできない。この頃の人たちの文字を見ると、上手、下手はあるのだろうが、みんな文字がまとまっているように感じられる。多くの文字が並んでいても、どこかきれいだ。自己を広く表現するには、文字しかなく雑誌や新聞に掲載されない限りは自分で書かなければならなかった頃なので、書くということが多かったのだろう。今では、手書きで書くということが少ない。ワープロやパソコンが一般的になっている。これは、いいことではあるが字を書く機会を激減させる。昔の文学者は意図的に通常の書き方とは違う文章表現で特別な意味合いを持たせた文章を書くこともあったが、文章の約束事は理解した上でのことだっただろう。小学生の頃には、文章の書き方などを習ったが、今では忘れさっている。段落は一文字あけるといった基礎的なことも守らず文章を書こうとしている自分に気がつく。そして、少し前なら手書きのほうが早かったのだが今となってはパソコンの文字入力のほうが早い。そして、手書きの文字はだんだん乱れてくる。漢字など全体的なイメージは覚えていても細かな部分は忘れ去る。ごまかしだけはできるが他人が読むのが難解な字になってしまう。
吉岡秀隆さん、薬師丸ひろ子さんらが出演した、「三丁目の夕日」という映画があった。原作は西岸さんの漫画である。主演の吉岡さんは小説家という設定であった。映画の中でテレビを買うことが大きな出来事として取り上げられていた。吉岡さんの住む雑貨屋の向かいの鈴木オートにテレビが届けられた時には近所の人々が集まって、番組を鑑賞していた。吉岡さんは少年誌向けの小説家だったが、今では少年誌向けの小説はあるのだろうか。小学生に向けた小説とか、中学生を対象とした小説などは記憶にない。先日、劇画原作者の梶原一騎さんの生涯を取り上げた昔のテレビ番組を見た。梶原一騎さんは、「巨人の星」や「あしたのジョー」の原作者だ。梶原さんがデビューした当時は、小説が主流だったようだ。少年誌の主流が月刊から週刊に変わる頃に、少年誌の主流は漫画へと移ってきたようだ。文章のみで表現する時代から、絵と文字で表現する時代になったということだろう。そして、テレビの登場だ。漫画はテレビによって動きのあるものとなり、音も表現できるものとなった。「三丁目の夕日」の中で吉岡さんが演じた小説家、茶川龍之介は、この時代の小説家だったのだろう。表現方法の急速な変化の中で翻弄された人も多くいたことだろう。時が違うなら大きな評価を受けたかもしれない人もいるのではないかと思う。
すべての表現を手書きで行っていた頃と今は大きく違う。昔は、詩や小説など文字での表現か絵画での表現、挿絵など。そして、誰もが写真を交えた表現も可能になった。さらにyoutubeなどを使えば動画も可能だ。動画の編集もできるようになっている。表現の多様化のなかで文章というものを見直したほうがいいのかもしれない。携帯やスマホやタブレットの普及で屋外でも文字入力は可能になったとはいえ、必ず手書きで書く必要は残る。出張でビジネスホテルにチェック・インする時に、住所や名前の文字がだんだんまとまりをなくしていく自分の字に気がつく。
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