石川啄木 日記 明治41年4月30日 - にゃん吉一代記
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石川啄木 日記 明治41年4月30日



啄木の日記だ。


明治41年4月30日だ。
3度目の上京で東京に出てきたばかりだ。



まずは、原文。




四月三十日
 九時近く目をさます。金田一君の室。凡てに優しき此人の自然主義論は興をひいた。十二時千駄ヶ谷に帰る。
 与謝野氏は“言の泉”の校正に忙殺されて居る。森博士から、来る二日の同氏宅歌会へ案内の葉書を貰つた。
 筆をとる心地がせぬので、せつ子と宮崎兄へ葉書かく。急に逢ひたくなつて、突然並木君を市ヶ谷本村町に訪ねた。玄関に立つてベルを推すと、出て来たのが並木君。目をまるくして驚いた顔のなつかしさ。外国語学校の支那語科に首尾よく入学したとの事。
 夏目漱石の“虞美人草”を読んで寝る。





さて、読んでみよう。

明治41年4月30日
 9時近くに目を覚ました。金田一京助君の部屋だ。おしなべて全てにおいて優しい、この人の自然主義は興味深いものだった。12時頃、千駄ヶ谷に帰った。
 与謝野さんは、「言の泉」の校正に忙殺されている。森鴎外さんから、5月2日に観潮楼での歌会の案内の葉書をもらった。
 作品を書く気にならないので、せつ子と宮崎郁雨さんに葉書を書いた。急に並木武雄さんに会いたくなって市ヶ谷本村町に行った。玄関に立ってベルを押すと、ちょうど並木さんが出てきた。目を丸くして驚く顔が懐かしい。東京外国語学校の中国語科にめでたくも入学したそうだ。
 夏目漱石の「虞美人草」を読んで、寝る。



この日の日記は短い。啄木の妻のせつ子は、この時は函館にいる。宮崎郁雨は啄木の北海道での経済的な援助をした人だ。並木武雄さんも、函館時代の友人の一人である。



0430.png

前日の夜は、赤心館に泊まって、4月30日は一度、新詩社に戻ってから市谷本村町に出かけたようだ。
明治時代のこのあたりは、交通の便はあまりよくなかったようだ。
今とは、違う。
移動の多くは徒歩だったのではないだろうか。





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