明治41年4月29日の啄木の行動を推察してみよう - にゃん吉一代記
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明治41年4月29日の啄木の行動を推察してみよう



石川啄木、3度目の上京の足跡を巡ってみようとしている。

前日から啄木は、千駄ヶ谷の「新詩社」に宿泊していた。
新詩社は、明星を刊行していたが、この時期は自然主義に押されて廃刊が近い時期だった。
与謝野鉄幹は、雅号の鉄幹を、本名の寛に戻していた。
与謝野晶子さんには、双子のお子様ができていた。

明治41年4月29日
啄木は、8時半頃に起きて、10時頃に知人の小泉さんを訪ねたとある。場所は四谷大番町だ。
そして、ふたりは街を歩いた。
昼は、小川町で蕎麦を食べたそうだ。かなりの距離を歩いたことになる。
現在の地図で確認すると新詩社のあったあたりから、小川町付近までは、6.7kmだ。
10時過ぎに歩き始めると、ちょうど昼ころに小川町に到着だろう。
その後、須田町まで歩いて、小泉さんと別れる。
小泉さんは、電車で帰途についたのだろう。
啄木が本郷行の電車に乗ろうとすると、梅川さんという釧路で知り合った女性から声を掛けられて二人で上野公園に行き、その後、広小路で梅川さんと別れて、赤心館に金田一京介を訪ねたこととなっている。豊国という料理屋さんに案内されて、牛鍋をつつきながらビールを飲んで、その日は赤心館の金田一の部屋に泊まった。



0429.png


現在の地図に、啄木が行ったという場所を重ねてみた。
広小路から赤心館までの交通手段は書かれていないが、おそらく路面電車で途中まで行ったのではないだろうか。




明治001


gooの地図で、明治時代の地図を借りてきた。
なんとなく雰囲気はわかるだろう。




明治002

明治時代の四ツ谷付近の地図。
左のあたりに、縦書きで、「四谷大番町」と書かれてある。




003_201605081323187dd.png


須田町や小川町付近。
地名は、現在もそのままだ。



002_20160508132318865.png

同じところの明治時代の地図。
地名が縦書きや、右から左読みの横書きになっている。




004_2016050813303117b.png

レイヤーで地図を重ねてみたが、若干ずれている。
また啄木の足跡巡りの地点が増えた。





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