啄木の足跡 横浜 - にゃん吉一代記
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啄木の足跡 横浜



明治41年4月27日午後6時ころに、啄木は横浜に上陸した。
これが、啄木にとって最後の上京となる。
明治45年4月文京区小石川(旧久堅町)にて、わずか26歳の若さで亡くなってしまった。


さて、横浜に上陸した啄木は、その日は宿に入って風呂を浴び、夕食を摂ったようだ。
綿入れを着ていると汗が出たと日記に書かれてある。
北海道の気温と横浜の気温は全く違ったのだろう。
翌日の日記では、夏が余に先がけて一足先に訪れているといった内容の記述もあった。




DSCF0974.jpg

啄木が降り立ったと思われる、大さん橋の現在の様子だ。
前身は、1894年(明治27年)に完成した鉄桟橋だ。



meijioosannbasi.jpg

1900~1910年 (明治33年~大正元年)頃の、大桟橋の様子だ。
今の大さん橋と違って船が着くだけの施設だ。



meijioosannbasi02.jpg


当時としては、にぎわっていた港だ。
函館の港を出港して、やってきた啄木は、この光景をどのように感じただろうか。



meijioosannbasi03.jpg


明治40年代の象の鼻や大桟橋のあたり。
当時で、4月後半の午後6時といえば、少し暗くなりかけていたことだろう。
今と違って、町の明かりもそんなに多くはない。
街の灯りが、とてもきれいね。横浜。ブルーライト・ヨコハマ。
と、歌われたのは昭和になってからのことである。
しかし、外国と貿易する港のある横浜は、地方から出てきたら眩しいばかりかもしれない。




meijioosannbasi04.jpg


当時の周辺の地図である。
啄木が宿泊した、当時の正金銀行の隣の長野屋旅館までの道路は現在と同じような感じで整備されているようだ。
ただ、建物の高さは全く違ったものだっただろう。



meiji005.png


現在の地図は、こんな感じ。
大桟橋と、正金銀行があった地点と長野屋旅館があったと思われる所は追記した。

旅館では、船で一緒だった人と同じ部屋に泊まったとのことだ。
数人で連れ立って旅館まで歩いたのだろう。
約1kmほどの道のりだ。
啄木にとっては、暗くとも珍しいものが目に入ったことだろう。



DSCF1167.jpg


写真左の建物が、当時の正金銀行、現在の神奈川県立歴史博物館だ。
そして、写真右に見える茶色の建物のあたりに、当時の長野屋旅館があったと思われる。
現在の住所表示は、神奈川県横浜市中区太田町5−65 のあたりだろう。





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