横浜の石川啄木 - にゃん吉一代記
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横浜の石川啄木



啄木、最後の上京の時の日記だ。
横浜に上陸した日である。


四月廿七日
 夜の明方、船が大分揺れた。犬吠岬の沖を過ぎたのである。
 午後になつて房州の海岸が右舷に近く見える。青々とした麦の畑が所々にあつた。館山の沖を過ぎる。鋸山の頂きには雲が靉いて居た。
 軍港横須賀の沖合には、新しく築かれた砲台が二つ三つ、海の中に牛の如く臥て居た。港の入口と覚しきあたりに、軍艦らしい檣が七八本。軈て、横浜の崎が見えだした。
 船は防波堤の奥深く入つて、午後六時錨を投じた。人々と共に二昼夜半の航海を終つて上陸、正金銀行前の長野屋に投宿。船の中で枕を並べた二人と室を同じうする。
 湯に入つて晩餐の膳についたが、綿入を着て汗が流れた。八時半、手紙をかいて小嶋烏水君にやる。返事が来て明日正午会食の約。
 ハガキを五六枚。与謝野氏に明日行くと打電して枕に就く。(横浜市長野屋にて、)


明治41年4月27日の日記である。
この日記と、過去の地図などを調べて、足跡を巡ってみよう。
啄木は翌日には汽車で東京に向かっている。

日記をわかりやすく読み直してみよう。
訳に自信はないので、本当に知りたい人は自分で訳すように。


明治41年4月27日
 啄木は函館から船で横浜に向かっていた。その頃は海路で3日ぐらいかかったらしい。

 夜が明けようとする頃、船がずいぶん揺れた。千葉県の犬吠埼を過ぎたのだ。
 午後になると千葉県の海岸が船の右舷の近くに見える。青々とした麦畑が所々にあった。館山の沖をすぎた。(千葉県富津市の)鋸山の頂上付近には雲がなびいていた。






このあたりを通っているのだろう。
たぶん。


 軍港である横須賀の沖には、新しく作られた砲台が2つ3つある。海のなかで牛げ伏せているようだ。港の入口らしきところに軍艦のものと思われる、マストが7〜8本見える。やがて、横浜が見えはじめた。
 船は防波堤の奥深くまで入って、午後6時に投錨した。他の乗客と一緒に2日半の航海を終えて上陸した。正金銀行の前の長野屋に宿を取った。船で一緒だった二人と同じ部屋だ。
 風呂に入った後、夕食をとったが綿入れの半纏を着たら汗が流れた。8時半に手紙を書いて小嶋烏水に送る。返事が来て明日の正午に会食をする約束となった。
 さらにハガキを5〜6枚書く。与謝野氏に明日行くと電報を打って枕についた。(横浜市長野屋にて、)


明治27年には現在のおおさん橋の前身の鉄桟橋が完成していたらしい。メリケン波止場である。
当時の正金銀行は、現在の神奈川県立歴史博物館だ。

ここは、簡単に見つかりそうだ。



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