釧路の石川啄木 - にゃん吉一代記
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釧路の石川啄木



釧路である。
啄木が歩いた道のあたりを、108年も後に歩いている。
啄木が釧路に居たのは、明治41年、1908年のことである。
石川啄木が22歳の頃だ。

釧路には76日ほどしか滞在しなかったようだが、啄木の人生においては悪いものではなかったようだ。
啄木は、1907年5月から1908年4月まで北海道で生活していた。
この1年の間にも、函館、札幌、小樽、釧路と移動している。
同じところで長く落ち着くことはない人生だった。



釧路で啄木が歩いた道を少しだけ辿ってみた。


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のっけから、啄木とは関係ないが釧路の歩道のゴミ。
どこにでもあるのだが。
やっぱり道路にゴミを捨てるのはよくない。
でも、「わかば」の空箱は、あまり見かけない。




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バス停に啄木の名がある。
啄木ゆめ公園だ。


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そんなに大きな公園ではないが、啄木の名が残る公園なのだ。
啄木自身が生きているうちは、ほとんど評価されることはなかった。
しかし、釧路では、彼の人生の中では評価されていたと思う。
それでも、文学の道のために東京に出ることを決意できるのは、すごいと思う。






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これは自動販売機なのだが、今は販売をしていない自動販売機だ。
世の無常を感じるのは私だけであろうか。





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歩道のオブジェ。
ストーブの絵だ。
幼稚園に通っていた頃だが、冬になると教室の中央にストーブが置かれた。
ちょうど、こんなストーブだった。
その、ストーブの近くに、網棚が置かれた。
そこに、お弁当を置いた。
冬は、弁当が冷めてしまうのだが、ストーブの近くで保温していたのだ。
今では、中途半端な温度のところに弁当を置くこともないだろう。
電子レンジが一般的ではなく、保温できる弁当箱など、なかった頃だ。
このストーブの絵を見ると、幼稚園の教室を、ぼんやりと思い出す。
戻りたくても戻れない。



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石川啄木が釧路で勤めたのは、釧路新聞。現在の北海道新聞だ (現在の釧路新聞社とは無関係)。
当時の場所にあるわけではないが、啄木と関わりのある新聞社だと思うと、なにか嬉しくなる。











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