石川啄木 小樽から釧路へ
石川啄木が、小樽から釧路に移動したのは、明治41年の1月だ。
釧路に降り立ったのが1月21日午後9時半頃。
今でなら小樽を16:30に出発すれば、21:59分に釧路に到着する。
小樽から札幌まで快速、札幌から釧路まで特急スーパーおおぞらを利用した場合だ(2016年4月)。
しかし、現在とは路線も違えば汽車のスピードも違う。
実際には、どの程度の時間がかかったのか興味がわいた。
啄木は、丁寧に日記をつけていた。
足跡を巡るのは比較的簡単なのだ。
明治41年1月19日
啄木は午前9時の汽車に乗る予定で家を出たようだ。
家から駅までは、橇(そり)で出かけたらしい。
車夫が橇を引いてきた。と書かれているので、人がひいていた橇なのだろう。
諸般の事情で午前11時40分に汽車に乗ったとのことだ。
汽車は札幌を経由して、午後4時に岩見沢に到着したとのことだ。
その日は岩見沢の姉の家に泊まったとのことだ。
この日は義理の兄、姉とビールを飲み、鶏を肴に楽しい夜を過ごしたようだ。
現在なら特急電車に乗らなくても快速で1時間半ほどの行程だ。
その当時は、4時間20分かかったということか。
明治41年1月20日
午前10時30分頃、岩見沢を出発。
途中、石狩川が雪に埋もれているのを見たり、夏の神威古潭に思いをはせたようだ。
午後3時15分頃に旭川に到着。
停車場(駅)の前の宮越屋に泊まったようだ。
現在なら岩見沢から旭川は、各駅停車でも1時間半から2時間ほどで到着する。
ただし、列車の本数は少ない。
小樽から札幌経由で岩見沢までは函館本線を通ったのだろう。
これは、今もほとんど同じ。
しかし当時の鉄道網では石勝線や根室本線は、なかったようだ。
旭川まで出て、現在の富良野線で南に向ったようだ。
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと
伴なりしかの代議士の
口あける青き寐顔を
かなしと思ひき
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな
明治41年1月21日
午前6時半に旭川を出る汽車に乗ったようだ。
この旅の中では珍しく早起きして早出している。
冬の北海道だ。雪も深かったことであろう。
空知川の岸に沿って上ると記述されている。
今なら富良野で根室本線と富良野線が合流するので、富良野以降での記述であろうか。
石狩十勝の国境という記述がある。おそらく狩勝峠をさしているのだろう。
その後、長いトンネルを抜けて右のあたりに何百里と見渡せる景色があったようだ。
午後3時半に帯広を通過。
午後9時半頃に釧路に到着した。
その当時の釧路は最果ての駅だったとのことだ。
釧路から先に向う線路はなかった。
旭川を午前6時半頃にたって釧路到着が、午後9時半頃。
約15時間も汽車に乗っていたことになる。
現在、各駅停車を乗り継いで旭川から釧路まで行くとすると、午前9時30分過ぎに旭川を出発して釧路到着は、午後6時頃。
途中20分あまりの連絡待ちがあるが約8時間30分の旅程となる。
有料の特急を使うなら、旭川から特急で札幌まで帰って、それから旭川に向ったほうが早いようだ。
丸3日かけて小樽から釧路に移動している。
途中で降り立ったのは、岩見沢と旭川。
小樽、函館に行きたいと思うにゃん様だが、旭川へも行きたくなった。
啄木の足跡巡りなのだ。
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釧路に降り立ったのが1月21日午後9時半頃。
今でなら小樽を16:30に出発すれば、21:59分に釧路に到着する。
小樽から札幌まで快速、札幌から釧路まで特急スーパーおおぞらを利用した場合だ(2016年4月)。
しかし、現在とは路線も違えば汽車のスピードも違う。
実際には、どの程度の時間がかかったのか興味がわいた。
啄木は、丁寧に日記をつけていた。
足跡を巡るのは比較的簡単なのだ。
明治41年1月19日
啄木は午前9時の汽車に乗る予定で家を出たようだ。
家から駅までは、橇(そり)で出かけたらしい。
車夫が橇を引いてきた。と書かれているので、人がひいていた橇なのだろう。
諸般の事情で午前11時40分に汽車に乗ったとのことだ。
汽車は札幌を経由して、午後4時に岩見沢に到着したとのことだ。
その日は岩見沢の姉の家に泊まったとのことだ。
この日は義理の兄、姉とビールを飲み、鶏を肴に楽しい夜を過ごしたようだ。
現在なら特急電車に乗らなくても快速で1時間半ほどの行程だ。
その当時は、4時間20分かかったということか。
明治41年1月20日
午前10時30分頃、岩見沢を出発。
途中、石狩川が雪に埋もれているのを見たり、夏の神威古潭に思いをはせたようだ。
午後3時15分頃に旭川に到着。
停車場(駅)の前の宮越屋に泊まったようだ。
現在なら岩見沢から旭川は、各駅停車でも1時間半から2時間ほどで到着する。
ただし、列車の本数は少ない。
小樽から札幌経由で岩見沢までは函館本線を通ったのだろう。
これは、今もほとんど同じ。
しかし当時の鉄道網では石勝線や根室本線は、なかったようだ。
旭川まで出て、現在の富良野線で南に向ったようだ。
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと
伴なりしかの代議士の
口あける青き寐顔を
かなしと思ひき
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな
明治41年1月21日
午前6時半に旭川を出る汽車に乗ったようだ。
この旅の中では珍しく早起きして早出している。
冬の北海道だ。雪も深かったことであろう。
空知川の岸に沿って上ると記述されている。
今なら富良野で根室本線と富良野線が合流するので、富良野以降での記述であろうか。
石狩十勝の国境という記述がある。おそらく狩勝峠をさしているのだろう。
その後、長いトンネルを抜けて右のあたりに何百里と見渡せる景色があったようだ。
午後3時半に帯広を通過。
午後9時半頃に釧路に到着した。
その当時の釧路は最果ての駅だったとのことだ。
釧路から先に向う線路はなかった。
旭川を午前6時半頃にたって釧路到着が、午後9時半頃。
約15時間も汽車に乗っていたことになる。
現在、各駅停車を乗り継いで旭川から釧路まで行くとすると、午前9時30分過ぎに旭川を出発して釧路到着は、午後6時頃。
途中20分あまりの連絡待ちがあるが約8時間30分の旅程となる。
有料の特急を使うなら、旭川から特急で札幌まで帰って、それから旭川に向ったほうが早いようだ。
丸3日かけて小樽から釧路に移動している。
途中で降り立ったのは、岩見沢と旭川。
小樽、函館に行きたいと思うにゃん様だが、旭川へも行きたくなった。
啄木の足跡巡りなのだ。
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