伝記は書けるだろうか? その2
生きている間に自国で2回のオリンピックをけいけんできるとは、なかなかすごいことだ。
しかし、1964年のオリンピックについては、全く記憶にない。
テレビの前で、「あべべ・あべべ」と応援していたとも言われているが、定かではない。
その頃、テレビがあるのは珍しかったようだ。
今のように、どこでもカラーテレビがある時代とは違う。
白黒のテレビがなかなか買えない。
高度成長期とは言っても、まだそんな時代だったのだ。
1950年代後半の電化製品の三種の神器は、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫であった。
にゃん様が生まれたのは、この頃だ。
その後、1960年代半ばに、3Cが登場する。
カラーテレビ、カー、クーラーである。
物心ついたころには、白黒テレビがカラーに変わっていた。
白黒テレビも少しだけ記憶の中にある。
カラーテレビと言っても、色はきれいではなかった。
今の安いテレビのほうが、色はずっときれいだ。
そういえば、カメラの写真も白黒がメインだった。
天然色になったのは、一般的な人の撮影の場合は、1970年頃からだったようだ。
昔は、写真を撮ると現像という作業と、プリントという作業があった。
写真やさんにやってもらうのだが、中学生か高校生の頃でネガを作る現像代が300円ぐらいだったろうか。
そして、プリントが高かった。1枚あたり30円から50円ぐらいはかかっていたと思う。
当時のフィルムは24枚撮りとか36枚撮りであった。
大量に撮れば、プリントするにも費用がかさむ。
今のように、簡単に写真を撮ることもできなかったのだ。
デジタル化で写真と印刷は大きく変わってしまった。
手軽に写真を撮ってアップできるのもいいが、なんとなく写真の価値はうすくなっているように感じる。
にゃん様が生まれたころは、こんな時代であった。
今の時代より恵まれていないけど、多くのものがキラキラとしていた時代なのだ。
※ 価格についてはおぼろな記憶に頼っている。
間違えがあれば指摘していただけるとありがたい。
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