よいお年をお迎えください
2015年も、残すところ4時間弱となっている。
1年は、365日、それぞれ24時間あるので、8760時間となる。
4/8760となれば、有意義に過ごしたいとも思うが、きっと何もしないまま新年を迎える。
2015年は、振り返ってみれば、すさまじく早く時間がすぎた気がする。
こんなことをしたとか、あんなことをしたとか、いろいろやってはいるのだが、少し前のことのように感じながら具体的に思い出せない。実際に月日は経っていることを実感させられる。
来年は、何か新しいことをしたい。
まず、お正月は餅を食べて、ヘリを飛ばして遊ぶのだ。
毎年、変わらない。
一人で年の瀬を迎えるとなると、あれこれと準備をするのが面倒だ。
年を越した気分になるかもしれないと、マルちゃんの緑のたぬきを買ってみた。
家でカップに入ったインスタント食品を食べることは、ほとんどないので、これも年越しらしさかと思う。
家にテレビはない。
あっても、ほとんど見ないのだ。
そんなわけで、紅白歌合戦は見ることができない。
何年も前から見ていないので、特に不自由は感じない。
会話の中で不自由することもない。
他人の歌う歌を聴いているほうが好きなら、ウェブも見るほうが好きに違いない。
こうして、拙い文章でも書いて楽しんでいるタイプの人は、たいていそうであろう。
勝手なきめつけかもしれないが。
趣味と実益を兼ねるという言葉があるが、これは仕事が趣味でもない限り、難しいのではないかと思う。
どう見えるかはわからないが社会人になって就職すると、時間のほとんどを労働力の提供に使う。
趣味の時間など多くは持てない。
これを実益に結びつけることは、極めて困難だと思うのだ。
にゃん吉にとって、ブログやYOUTUBEは趣味であると言っていいだろう。
少々の実益にはつながっているのだが、1日のほとんどを使って提供している労働力の対価に比べると、微々たるものだ。それでも、この微々たる実益があるからラジコンヘリや、ラジコンカーを買うこともできる。そして、それを材料にブログやYOUTUBEの更新もできるから、それはそれで楽しいのだ。
ここで珍しく、この人に憧れるといった話をしてみよう。
若い頃は、吉田拓郎さんが憧れの人だった。
歌もいいのだが、四角佳子さん、浅田美代子さん、森下愛子さんと結婚しているのだ。
すごいのだ。すごいというかうらやましいというか。
でも、もし岡田奈々さんと結婚した人がいたら、もっと憧れていたかもしれない。
AKBのほうじゃない。
でも、これは昔の話だ。
最近では、ブログで何度か紹介もしているが、石川啄木だ。
若くして他界した天才歌人のように言われているが、その人生はめちゃくちゃだった。
凡人では、到底、真似できない。
実は彼は極貧であった。
自分が働いて得る以上の金を豪快に使うのだから当たり前だ。
それでいて繊細な詩を詠んでいる。
普通であれば、普通の人であれば怖れることも、そのままである。
頭がいいのか悪いのかわからない。
しかし後世に名を残している。
不思議な歌人だ。
存在は周りの人にとって迷惑きわまりなかったはずだ。
しかし、周りの人は受け入れている。
こんな生き方は、やろうと思ってもできるものではない。
啄木は、多くのところで、どん底を感じたに違いない。
しかし、最後まで自分で自分を信じていたのだろう。
一握の砂、悲しき玩具、これが世間で注目されることを誰よりもわかっていたのは、啄木本人かもしれない。
多くの人は、あきらめる。
年をおうごとに、自分の限界を思い知らされる。
比べる対象は、自分に近いものになってくる。
その点、啄木は違っていたのかもしれない。
極貧でいながらも、自分より上の人以上の輝きを求めたのだろう。
そして現在でも彼の名は残っている。
JR盛岡駅には、啄木の筆跡の「もりおか」という文字がある。
しかし、最後に盛岡を出る啄木は、石もて追われる身分だった。
石を投げつけられながら、出て行ったのだ。
しかし現在では盛岡出身の偉人である。
さて、2016年の、にゃん吉はどのようになるだろう。
石もておわれるのもありかもしれない。
自分が楽しいと思う時間を思いっきり楽しみたい。
あとは、あとの時間なのだ。
2015年は、あと2時間あまりだ。
眠くなれば寝るのも人間らしい生き方だ。
無理をしてもいいが、無理はしなくてもいい。
おおらかに新年を迎えよう。
YOUTUBE チャンネル登録お願いします。
1年は、365日、それぞれ24時間あるので、8760時間となる。
4/8760となれば、有意義に過ごしたいとも思うが、きっと何もしないまま新年を迎える。
2015年は、振り返ってみれば、すさまじく早く時間がすぎた気がする。
こんなことをしたとか、あんなことをしたとか、いろいろやってはいるのだが、少し前のことのように感じながら具体的に思い出せない。実際に月日は経っていることを実感させられる。
来年は、何か新しいことをしたい。
まず、お正月は餅を食べて、ヘリを飛ばして遊ぶのだ。
毎年、変わらない。
一人で年の瀬を迎えるとなると、あれこれと準備をするのが面倒だ。
年を越した気分になるかもしれないと、マルちゃんの緑のたぬきを買ってみた。
家でカップに入ったインスタント食品を食べることは、ほとんどないので、これも年越しらしさかと思う。
家にテレビはない。
あっても、ほとんど見ないのだ。
そんなわけで、紅白歌合戦は見ることができない。
何年も前から見ていないので、特に不自由は感じない。
会話の中で不自由することもない。
他人の歌う歌を聴いているほうが好きなら、ウェブも見るほうが好きに違いない。
こうして、拙い文章でも書いて楽しんでいるタイプの人は、たいていそうであろう。
勝手なきめつけかもしれないが。
趣味と実益を兼ねるという言葉があるが、これは仕事が趣味でもない限り、難しいのではないかと思う。
どう見えるかはわからないが社会人になって就職すると、時間のほとんどを労働力の提供に使う。
趣味の時間など多くは持てない。
これを実益に結びつけることは、極めて困難だと思うのだ。
にゃん吉にとって、ブログやYOUTUBEは趣味であると言っていいだろう。
少々の実益にはつながっているのだが、1日のほとんどを使って提供している労働力の対価に比べると、微々たるものだ。それでも、この微々たる実益があるからラジコンヘリや、ラジコンカーを買うこともできる。そして、それを材料にブログやYOUTUBEの更新もできるから、それはそれで楽しいのだ。
ここで珍しく、この人に憧れるといった話をしてみよう。
若い頃は、吉田拓郎さんが憧れの人だった。
歌もいいのだが、四角佳子さん、浅田美代子さん、森下愛子さんと結婚しているのだ。
すごいのだ。すごいというかうらやましいというか。
でも、もし岡田奈々さんと結婚した人がいたら、もっと憧れていたかもしれない。
AKBのほうじゃない。
でも、これは昔の話だ。
最近では、ブログで何度か紹介もしているが、石川啄木だ。
若くして他界した天才歌人のように言われているが、その人生はめちゃくちゃだった。
凡人では、到底、真似できない。
実は彼は極貧であった。
自分が働いて得る以上の金を豪快に使うのだから当たり前だ。
それでいて繊細な詩を詠んでいる。
普通であれば、普通の人であれば怖れることも、そのままである。
頭がいいのか悪いのかわからない。
しかし後世に名を残している。
不思議な歌人だ。
存在は周りの人にとって迷惑きわまりなかったはずだ。
しかし、周りの人は受け入れている。
こんな生き方は、やろうと思ってもできるものではない。
啄木は、多くのところで、どん底を感じたに違いない。
しかし、最後まで自分で自分を信じていたのだろう。
一握の砂、悲しき玩具、これが世間で注目されることを誰よりもわかっていたのは、啄木本人かもしれない。
多くの人は、あきらめる。
年をおうごとに、自分の限界を思い知らされる。
比べる対象は、自分に近いものになってくる。
その点、啄木は違っていたのかもしれない。
極貧でいながらも、自分より上の人以上の輝きを求めたのだろう。
そして現在でも彼の名は残っている。
JR盛岡駅には、啄木の筆跡の「もりおか」という文字がある。
しかし、最後に盛岡を出る啄木は、石もて追われる身分だった。
石を投げつけられながら、出て行ったのだ。
しかし現在では盛岡出身の偉人である。
さて、2016年の、にゃん吉はどのようになるだろう。
石もておわれるのもありかもしれない。
自分が楽しいと思う時間を思いっきり楽しみたい。
あとは、あとの時間なのだ。
2015年は、あと2時間あまりだ。
眠くなれば寝るのも人間らしい生き方だ。
無理をしてもいいが、無理はしなくてもいい。
おおらかに新年を迎えよう。
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