中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)
中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)の名を聞いたことはあるだろうか。1972年に竣工された、世界初のカプセル型集合住宅である。建物の部屋も、当時としても奇なものであったようだが、外見もすごいのである。

これが集合住宅と聞いても、にわかには信じられないかもしれない。
丸い窓のついた、一つ一つのカプセルが、一部屋なのだ。

設計は、黒川紀章さんである。
黒川さんの初期の代表作で、メタボリズムの代表作とも言われている。
メタボリズムは、メタボリックとは違う。
略せば、どちらも、メタボであるかもしれないが、メタボリズムは、ウエストサイズが大きいわけではない。
-----メタボリズム wikipedia より引用-----
メタボリズムは1959年に黒川紀章や菊竹清訓ら日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した建築運動。新陳代謝(メタボリズム)からグループの名をとり、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。
----引用以上-----

メタボリズムを提唱しているだけに、この建物は、すごい特徴を持っている。
カプセルのひとつひとつは、中央の2本のシャフト状のもの、エレベーターのシャフトであるが、それにボルトで取付けされているとのことだ。何らかの事情があった場合には、カプセルのひとつひとつを交換することができる構造になっているそうである。ただし、建築されてから、これまでカプセルが取り替えられたことは一度もないそうだ。ひとつのカプセルは、10㎡ほどの広さになっているらしい。

この建物も、築後30年以上が経過した頃に、老朽化とアスベスト問題なども持ち上がり、取り壊し、建替えが検討されているようだ。
当初は、ビジネスマンのセカンド・ハウス、またはセカンドオフィスとして設計されたらしいが、ここは銀座である。お金になる資産以外は、受け入れられがたいのかもしれない。でも、この建物、見ていても楽しい。できることなら、どこか別のところにでも保存されれば、うれしいと思う。アスベスト等の諸問題も、移設の折に解決できるのではないだろうか。

このカプセルの中には、ベッド、エアコン、テレビ等は造り付けで取付けられていたようだ。
入居すれば、そのままセカンドハウスや、オフィスとして利用可能なものになっていたらしい。
広くはないだろうが、各部屋にユニットバス、トイレも完備されているようである。
写真で見ただけであるが、扉は上下を丸くしたもので、宇宙船や艦船の風呂といった様相である。松本零士さんの設計ですか?と聞きたくなるかもしれない。メーテルの入浴シーンを彷彿させるような、お風呂なのである。
作りつけの設備は、今となっては古さを否めない。テレビ、オープンリールデッキなどが標準装備されていたらしいが、1970年頃といえば、カラーテレビも完全に普及しているとは言いがたい時代である。オープンリールデッキと聞いても、ピンとこない人が多いであろう。かつて、カセットテープというものがあったが、これは手軽に音楽を録音して聞いて楽しめる画期的なものであった。磁気テープという点では同じだが、カセットテープのほうが、後から普及したと思う。オープンリールは、テープの幅も広く、一部のマニアには、いつまでも使われたようであるが、カセットテープが普及してからは一般的ではなくなった。テレビもブラウン管の時代である。コンパクトな設備にしようとしても当時は限界もあったはずだ。このビルの一室は、現在、埼玉県立北浦和公園で展示されているようだ。写真で見ると、オープンリールデッキやテレビ、電話などが必要以上に場所をとっている。収納も考えた机は芸術さえ感じさせる作りだ。
この部屋、現代の機器を使ってリフォームすれば、かなり快適な空間が生まれそうな気がする。匠にゃん吉の、ビフォーアフターなのだ。かつて、「庵」を最後の住居として過ごした人は多い。座って半畳、寝て一畳。それだけの空間があれば一人の人間が過ごすことはできるのである。他に必要なのは最低限の日常の場だけなのである。
いろいろなことを考えさせてくれる建物である。
いつまでも、見られたらいいと願うのであった。
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これが集合住宅と聞いても、にわかには信じられないかもしれない。
丸い窓のついた、一つ一つのカプセルが、一部屋なのだ。

設計は、黒川紀章さんである。
黒川さんの初期の代表作で、メタボリズムの代表作とも言われている。
メタボリズムは、メタボリックとは違う。
略せば、どちらも、メタボであるかもしれないが、メタボリズムは、ウエストサイズが大きいわけではない。
-----メタボリズム wikipedia より引用-----
メタボリズムは1959年に黒川紀章や菊竹清訓ら日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した建築運動。新陳代謝(メタボリズム)からグループの名をとり、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。
----引用以上-----

メタボリズムを提唱しているだけに、この建物は、すごい特徴を持っている。
カプセルのひとつひとつは、中央の2本のシャフト状のもの、エレベーターのシャフトであるが、それにボルトで取付けされているとのことだ。何らかの事情があった場合には、カプセルのひとつひとつを交換することができる構造になっているそうである。ただし、建築されてから、これまでカプセルが取り替えられたことは一度もないそうだ。ひとつのカプセルは、10㎡ほどの広さになっているらしい。

この建物も、築後30年以上が経過した頃に、老朽化とアスベスト問題なども持ち上がり、取り壊し、建替えが検討されているようだ。
当初は、ビジネスマンのセカンド・ハウス、またはセカンドオフィスとして設計されたらしいが、ここは銀座である。お金になる資産以外は、受け入れられがたいのかもしれない。でも、この建物、見ていても楽しい。できることなら、どこか別のところにでも保存されれば、うれしいと思う。アスベスト等の諸問題も、移設の折に解決できるのではないだろうか。

このカプセルの中には、ベッド、エアコン、テレビ等は造り付けで取付けられていたようだ。
入居すれば、そのままセカンドハウスや、オフィスとして利用可能なものになっていたらしい。
広くはないだろうが、各部屋にユニットバス、トイレも完備されているようである。
写真で見ただけであるが、扉は上下を丸くしたもので、宇宙船や艦船の風呂といった様相である。松本零士さんの設計ですか?と聞きたくなるかもしれない。メーテルの入浴シーンを彷彿させるような、お風呂なのである。
作りつけの設備は、今となっては古さを否めない。テレビ、オープンリールデッキなどが標準装備されていたらしいが、1970年頃といえば、カラーテレビも完全に普及しているとは言いがたい時代である。オープンリールデッキと聞いても、ピンとこない人が多いであろう。かつて、カセットテープというものがあったが、これは手軽に音楽を録音して聞いて楽しめる画期的なものであった。磁気テープという点では同じだが、カセットテープのほうが、後から普及したと思う。オープンリールは、テープの幅も広く、一部のマニアには、いつまでも使われたようであるが、カセットテープが普及してからは一般的ではなくなった。テレビもブラウン管の時代である。コンパクトな設備にしようとしても当時は限界もあったはずだ。このビルの一室は、現在、埼玉県立北浦和公園で展示されているようだ。写真で見ると、オープンリールデッキやテレビ、電話などが必要以上に場所をとっている。収納も考えた机は芸術さえ感じさせる作りだ。
この部屋、現代の機器を使ってリフォームすれば、かなり快適な空間が生まれそうな気がする。匠にゃん吉の、ビフォーアフターなのだ。かつて、「庵」を最後の住居として過ごした人は多い。座って半畳、寝て一畳。それだけの空間があれば一人の人間が過ごすことはできるのである。他に必要なのは最低限の日常の場だけなのである。
いろいろなことを考えさせてくれる建物である。
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