にゃん吉怪談劇場『走馬灯』
にゃん吉怪談劇場『走馬灯』
走馬灯ー
内側の筒に絵書いて、外側の薄い紙に内側の絵を写す灯籠である。
実際に走馬灯を見たことがある人は、どれくらいいるだろう。
かくいう、にゃん吉も本物にはお目にかかった事がない。
内側の筒を回す仕掛けは、蝋燭の火の熱が上昇するのを利用して、
筒の上部に取り付けたプロペラを使って回していたらしい。
江戸時代の頃に作られはじめたようである。
夏の夜の娯楽として作られたため、歌の世界では夏の季語である。
いわゆる、『からくり灯籠』である。
筒に描かれた絵がエンドレスに回転するのであるから、
記憶のフラッシュバックを、「走馬灯のように...」と、
表現するのは正しいのであろうか?
とても凝縮された絵を描かないといけない。
『走馬灯』は、「回り灯籠」とも呼ばれる。
中の絵は、必ずしも馬ではなかったと思われるため、
「回り灯籠」の方が分かりやすい呼び名であろう。
当時は、走るものと言えば、馬だったのか。
飛脚の絵ばかりだったら、「走飛脚灯。」
佐川急便さんの、トラックに描かれたかもしれない。
猫も、すばやいのもいるのだが。猫なら「走猫灯。」
黒猫をモチーフにして、金色の目がひときわ明るく光
夏の夜に似合いそうな絵である。
当時の光源は、蝋燭の炎であるので、幻想的に見えたであろう。
畳、障子、襖、行灯、灯籠など過去の日本には幻想的な風景が家にあった。
蝋燭の灯りが作り出す障子に映る影も、想像力をかきたてられる。
最近では、「走馬灯」と言えば、死の直前に過去を思い出す現象として、
表現されることが多い。「走馬灯現象」とも言われる。
先日、AKBの板野さんのブログで、
「7年前から今までを走馬灯 のように思い出し、」との記述があった。
「走馬灯」の表現を臨死前の記憶の回顧と、捉えている若い人が多い中で、
このような記述があるのは、少しびっくりであった。
灯籠を見る機会は、非常に少なくなった。
普通に灯りとして使われなくなった。
灯籠は、もともと仏教の伝来とともに日本に入ってきた。
当時は、灯りとして使われてもいたが、
ガス、電気の灯りが普及した今となっては、
実用的に使われることは、ほとんどなくなっている。
そのため、一般の人が灯籠を見る機会といえば、
仏事の時などが多くなってくる。
走馬灯(回り灯籠)は、仏事にもマッチするので、
臨死の時の記憶のフラッシュバックを、
走馬灯のようにと表現するのは、合っている気がする。
お盆の時の飾りでも走馬灯は、使われるし。
必ずしも馬の絵ではない。
インターネットで、「走馬灯」を調べると、
「走馬灯とは、明治時代初期に官吏が乗っていた、頭に赤い電灯を載せた馬の ことだそうです。
人斬り等重大犯罪があると、その場に凄い勢いで走馬灯を駆って官吏が現 れたので、
壮絶な勢いで記憶が流れていくことをこのように表現するよう ...」
上記のような記述があったのだが、裏を取ろうとして赤色灯の歴史や、
警察の歴史を調べても、明治時代にまで結びつかない。
明治時代初期に電灯があったのだろうか。今のように、目立つ必要は
ないにしても、緊急で走っていることを知らせるためにつける灯りなら、
ある程度は、目立たなければならないはずである。
時間がある時に、いろいろ調べてみようと思うが、この話に関して、
知っている人がいたら教えてください。
にゃん吉、馬と赤なら「赤兎馬」が浮かぶ。
赤みがかった兎のように素早い馬である。
怪談話にしようかと思っていたが、疲れたので本日はここまで。
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走馬灯ー
内側の筒に絵書いて、外側の薄い紙に内側の絵を写す灯籠である。
実際に走馬灯を見たことがある人は、どれくらいいるだろう。
かくいう、にゃん吉も本物にはお目にかかった事がない。
内側の筒を回す仕掛けは、蝋燭の火の熱が上昇するのを利用して、
筒の上部に取り付けたプロペラを使って回していたらしい。
江戸時代の頃に作られはじめたようである。
夏の夜の娯楽として作られたため、歌の世界では夏の季語である。
いわゆる、『からくり灯籠』である。
筒に描かれた絵がエンドレスに回転するのであるから、
記憶のフラッシュバックを、「走馬灯のように...」と、
表現するのは正しいのであろうか?
とても凝縮された絵を描かないといけない。
『走馬灯』は、「回り灯籠」とも呼ばれる。
中の絵は、必ずしも馬ではなかったと思われるため、
「回り灯籠」の方が分かりやすい呼び名であろう。
当時は、走るものと言えば、馬だったのか。
飛脚の絵ばかりだったら、「走飛脚灯。」
佐川急便さんの、トラックに描かれたかもしれない。
猫も、すばやいのもいるのだが。猫なら「走猫灯。」
黒猫をモチーフにして、金色の目がひときわ明るく光
夏の夜に似合いそうな絵である。
当時の光源は、蝋燭の炎であるので、幻想的に見えたであろう。
畳、障子、襖、行灯、灯籠など過去の日本には幻想的な風景が家にあった。
蝋燭の灯りが作り出す障子に映る影も、想像力をかきたてられる。
最近では、「走馬灯」と言えば、死の直前に過去を思い出す現象として、
表現されることが多い。「走馬灯現象」とも言われる。
先日、AKBの板野さんのブログで、
「7年前から今までを走馬灯 のように思い出し、」との記述があった。
「走馬灯」の表現を臨死前の記憶の回顧と、捉えている若い人が多い中で、
このような記述があるのは、少しびっくりであった。
灯籠を見る機会は、非常に少なくなった。
普通に灯りとして使われなくなった。
灯籠は、もともと仏教の伝来とともに日本に入ってきた。
当時は、灯りとして使われてもいたが、
ガス、電気の灯りが普及した今となっては、
実用的に使われることは、ほとんどなくなっている。
そのため、一般の人が灯籠を見る機会といえば、
仏事の時などが多くなってくる。
走馬灯(回り灯籠)は、仏事にもマッチするので、
臨死の時の記憶のフラッシュバックを、
走馬灯のようにと表現するのは、合っている気がする。
お盆の時の飾りでも走馬灯は、使われるし。
必ずしも馬の絵ではない。
インターネットで、「走馬灯」を調べると、
「走馬灯とは、明治時代初期に官吏が乗っていた、頭に赤い電灯を載せた馬の ことだそうです。
人斬り等重大犯罪があると、その場に凄い勢いで走馬灯を駆って官吏が現 れたので、
壮絶な勢いで記憶が流れていくことをこのように表現するよう ...」
上記のような記述があったのだが、裏を取ろうとして赤色灯の歴史や、
警察の歴史を調べても、明治時代にまで結びつかない。
明治時代初期に電灯があったのだろうか。今のように、目立つ必要は
ないにしても、緊急で走っていることを知らせるためにつける灯りなら、
ある程度は、目立たなければならないはずである。
時間がある時に、いろいろ調べてみようと思うが、この話に関して、
知っている人がいたら教えてください。
にゃん吉、馬と赤なら「赤兎馬」が浮かぶ。
赤みがかった兎のように素早い馬である。
怪談話にしようかと思っていたが、疲れたので本日はここまで。
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