2015年08月 - にゃん吉一代記

気がつけば



ブログに好き勝手なことを綴りながら、気がついたら3年以上経過している。
記事数は少し気にすることもあるが、テーマも思いつくままだし、マイブームがあればそれを書くだけだし、何も頭に浮かばない時は何も書かなかったりもする。なめこ栽培が更新されれば、なめこの記事を書くし、迷惑メールが来れば、それを書いてみたりする。電車や列車非常停止ボタンを追いかけた時期もあった。
テーマにこだわらない綴りなので、これまで続いてきたのだろう。
せっかくなので広告は掲載させてもらっているが、収入はそんなに大きくない。毎月、他のページの収入の足しにはなっているが、他のページに比べると閲覧数の割りに収入が少ない感じはする。でも、閲覧数は、毎月少しずつ上がっている。このまま、あと3年ぐらい経過すれば、昔のことを懐かしめるページになるかもしれない。
明治時代に、ブログとかホームページというものがあったとすれば、文学も大きく変わっていたかもしれない。しかし、その時代なりの風情というものは、活字でないと表現が乏しくなったかもしれないと思うのだ。
そんな時代であったなら、文章を他の人に読んでもらえる機会も持てなかったであろう。それを思えば今は凄い時代になっている。
パソコンのキーボードで更新できるから、手軽だ。鉛筆や万年筆を使って、紙に書いてから更新するのなら、それなりに準備が必要だが、キーボードで入力するだけなら、特に準備はいらない。何か他のことをしながらでもブログの更新は可能なのだ。墨をすって筆で書く時代はさらにたいへんだったことだろう。
さて、あと何回、記事が更新されるだろう。
10,000記事ぐらいになったら、自分でお祝いをしようと思う。

継続は力なのだ。

たぶん。








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悠久の



日本の季節というものは何年も前から続いている。
四季を感じられる国として、文学の世界では季語というものも存在する。
春には春の季語、夏には夏の季語というように、季節ごとに詩にも織り込まれる風情があった。
太陰暦から太陽暦に変わり季節と月は少し変わった。しかし、四季は変わらず日本にあった。
昔から異常気象というものも存在しただろう。天災がない時代はなかったが、今のように季節の概念が変わるほどの変化はあっただろうか。
地球全土でも、このような変化は起きていることだろう。
便利さとひきかえに多くの犠牲が出ている気がしてならない。

地球は永遠なのだろうか。
日本も地球も永遠であると信じていたが、少し疑問も感じ始めた。

目覚めた朝に地球がなくなっていたらびっくりしてしまう。






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2015年8月31日の人民元



人民元を所持して、1ヶ月あまりである。

7/20 に、レート20.17円で49.57人民元を購入。日本円で1000円。
値が上がらないため
8/24 に、レート18.89円で50.50人民元を購入。日本円で954円。

100.07人民元を持っている形になっているのだが、めでたく利息がついて、100.08人民元になった。
人民元の外貨普通預金の金利は、年利0.21パーセントとなっている。
保有量が多いほど、金利もつくが、レートが下がれば金利など吹き飛んでしまう。

7/20に買ったころは、中国の経済不安もささやかれていなかった頃なので、レートが高かった。


払い戻しが、954円以上になれば、さっさと円に戻して別の外貨に投資しようと思うが、その日は遠いかもしれない。





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巡る季節の中で



季節が巡るのだ。
気がついてみると8月も本日限りである。
他の月に比べると、行事が多いのだが、すぐに過ぎていく。
もう秋が近づいているのである。
盆あけからは、あまり暑くないのだが、雨が多い。秋の長雨がすでにやってきているかのような降水である。
秋になると、すぐに冬の足音が聞こえる。
また、冬のソナタを見る日々が続く。

今週も雨が多くなりそうだ。
身体にカビが生えないように毛づくろいするのだ。





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路傍の石ころ



昔、といっても数十年前の話であるが、道路に落ちているものにも、今より楽しさがあったと思う。
当たりも外れもあったとは思うが、今ほど無機質ではなかった。
今、路上に落ちているものは、コンビニやファーストフードの袋などが多い。
これは、本当に多いのだ。
他に何が落ちているかといえば、タバコの吸殻ぐらいであろう。

昔は、多くのものが落ちていたのだ。
財布がぼろかったのか、ズボンのポケットが破れていたのか、小銭が落ちていることは多くあった。
日本人が今より豊かな暮らしをしていたのかどうかは、わからないが。
10円玉でも、貧しく幼い身では拾うと嬉しいものだった。
逆に1000円以上だったりすると、律儀に派出所に届けたりしていたものだ。
そういえば、昔は500円は札だった。
いつのまにか、500円玉が当たり前になっているが、500円は札だった。
幼い頃の記憶で、100円札というものも覚えてはいるが、あまりはっきりとは覚えていない。
10,000円といえば、聖徳太子だった。
今では、クレジットカードやプリペイドカードが普及しているので、小銭を出す機会が少なくなった。
道路上に落とす確率も減ってきたのだろう。

他にも、いろいろな落し物があった。
ミニカーが落ちていても、今となってはあまり気にとめないのかもしれないが、落ちているのを見かけることは少ない。
おもちゃは、外に持ち出されなくなったのだろう。
テレビゲームなど屋内で楽しむ遊びが多くなると、外で何かを落とすこともない。

悪いものもいろいろあった。
踏むと1日の気分が悪くなるようなものもあった。
でも、無機質ではなかった。
道路を歩くときは、油断しないで路面を確認しなければならなかったのだ。
水溜りに足を踏み入れるようなことは、あまりなかった。
今では、携帯やスマホを見ながら道路を歩く人が多い。
水溜りに足を踏み入れたり、段差で滑りこけたりする。

そういえば、他人の前ですべって転んだりすると、本人は必ず笑いを浮かべながら去っていく。
痛そうなこけかたをしているのに、激しく転んだほど、笑顔なのだ。
きっと痛いに違いない。
でも、耐えられないほどの痛みの中でも、笑顔なのだ。
照れ隠しというものだろうが、一世一代の「がまん大会」といったところだ。
怒りをぶつけようとしても、ぶつけるべき場所は笑顔で去ってしまっている。


路傍の石ころは、通り過ぎる人をずっと見つめながら時をおくっている。
長い時間、路傍にいる石ころもあるだろう。

でも、最近は、道路に石ころがあることも少ない。








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