日本列島大改造論 - にゃん吉一代記

労働時間



 ここ最近、企業での働き方のありかた、特に超過勤務の時間に関して問題視されている。企業においては残業時間を削減させようと躍起になっているわけだが、根本的な解決には至らない。これは至極当たり前のことだ。なぜなら根本の問題に目を向けようとしていないからだ。企業の経営に関わる人には、どこが問題であるかは、わかっているはずだ。しかし、企業の中で、その解決の方法を簡単に口に出すことは難しいだろう。なぜなら、解決の方法は、そのままであれば企業の利潤を少なくすることになるからだ。
 昭和から平成にかけて多くの企業は顧客に対するサービスを提供する時間を長くしてきた。ごく一部の地域を除けば夜は夜だったのだ。深夜も営業している店舗といえばコンビニが最も代表的なところだろう。セブン-イレブン・ジャパン、 ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス、デイリーヤマザキ、ポプラ、ミニストップ、ココストア、スリーエフ、セイコーマート、国内での主要なコンビニだ。この主要10社のコンビニの店舗数だが、1985年(昭和60年)には全社合わせて、7,500店舗弱だったのだ。それが、2010年(平成22年)には、43,300店舗以上となっている。つまり、5.5倍以上の店舗数となっている。企業としては利潤を上げなければならないから店舗数を増加させようとしなければならないのは、わかる。コンビニの店舗数は、この先、微増か横ばいとなるだろう。通常の労働者の勤務時間を1日あたり8時間と考えた時に、コンビニが24時間営業だとすれば、各時間に二人の人員を配置するとすれば、1日24時間あたり3交代で成り立つことになる。休日なしで考えても1店舗あたり6人で1日の経営が成り立つことになる。これが7,500店舗の場合は、1日あたり45,000人が勤務することになるのだが、43,300店舗だと1日当たり、259,800人が働かなければならなくなる。コンビニに関しては年中無休でオープンしていることが多い。年間365日営業するとすれば、必要な延べの従業員の人数は、1985年は、7,500×6×365=16,425,000人。2010年の場合は、43,300×6×365=94,827,000人となる。これは休日も何も考えず店舗を1日運営するために必要な人数をはじき出しただけだ。実際には配送や本部の人員も働くので、ここで試算した倍以上の人数が運営のためには必要になってくるだろう。
 コンビニを例に上げたがサービス業の多くは、同じようなこととなっている。ファミレスやファーストフードも営業時間を長くし続けた。最近は効率の悪さもあり営業時間を短縮している店舗もあるが、これは外的要因によるものもあるようだ。24時間営業の店舗は、365日無休で営業していることが多い。サービス業に限らず、このような働き方が当たり前になれば労働力の確保はだんだん困難なこととなる。
 便利さは、どのほとんどを金銭と引き換えで得ることができる。福祉というものは過剰な便利さを与えてくれるものではない。また、そのようなものではないほうが普通だろう。最近は商品の購入も通販などで購入することが多くなってきた。インターネットなどで商品を注文すれば早ければ当日中や翌日に商品が自宅まで届く。ネット上でも、「今から何時間以内に注文すれば、翌日中にお届け。」といった言葉が並んでいる。これは、本当に便利だ。しかし、実際に、そんなに急いで必要なものは、どの程度あるだろうか。本当に急いでいるなら店まで買いに行くほうが早い。マヨネーズがなくなったとなれば、近くにコンビニに行けば売っている。通販で購入するものは、マヨネーズを買うほど急ぐ必要のないものであることが多い。通販で商品を購入する時に、お急ぎの配達は有料になったり、日時指定の配達は有料となり、他は送料無料といったものも多い。実際のところ、特にお急ぎにしなくとも、2~3日もあれば届くものが多いのも事実だ。だから有料のサービスは特に必要がないと考えるのは、よくある話だと思う。ただ、受け取ることが可能な日や時間帯というものは人によって、まちまちである。例えば火曜日に商品を注文したとする。水曜か木曜に商品は自宅まで到着するのだが、昼間は会社に行ってて受け取ることができない。最初から土曜か日曜の配達指定にすれば商品を確実に受け取ることができるが日時指定には送料がかかるような場合が多い。この場合だったら多くの人は不在票を確認した後で土曜なり日曜なりの配達を指定するだろう。そうなると、運送屋さんは、無駄に2回以上の訪問をする必要が出てくる。荷物を持って戸口まで行き、不在票を入れて引き返す。そして、指定日に、再度配達するといった具合だ。2回でおさまればいいが、さらに回数を重ねることもあるだろう。荷物が多い日や天気の悪い日は、いやにもなるだろう。この再配達というのも消費者にとっては便利な制度だが、貴重な労働力を無駄にしていることには違いない。無駄足というものがなければ運賃は今のままであったとしても運送屋さんは、もっと潤うだろう。再三の再配達が無駄にしているのは貴重な労働力ばかりではない。紙代、手間代、燃料費など個々は小さな金額ではあっても、日本全国で年間に無駄になる費用は膨大なものとなるはずだ。
 現在の労働時間の問題は、便利さを求めること、それに対して無理をしても答えようとする企業の姿勢によるものも大きいだろう。昔は地方に行くと、ガソリンスタンドも日曜日は休業だったりした。ただし当番制なのかどうだったのかはわからないが、地域の中で1店舗か2店舗が交代で営業をしていた。交代で営業をしておいても、そんなに多くのお客が来ているわけではない。日曜は休業だと知っているから、多くの人は日曜に車で出かけるなら前日までにガソリンを入れていた。当時は、それで特に不便も感じなかったのであるが、今なら日曜日に閉まっていっるガソリンスタンドを見ると、不便さに不満を感じそうになる。人間とは、そんなものだ。
 労働時間の短縮が叫ばれ、週休二日が当たり前になってきたが、その休日に働く人の数は確実に増えてきている。正規雇用者で賄いきれない休日の仕事に関しては、非正規雇用者をあてるなどして対応するものだから正規雇用者の割合は増えていかない。失業はしていないにしても安定雇用されている状態でない人が多くなってくる。また、下請け等に仕事を流すのはいいが、先ほどの運送の実態のようなこととなれば、下請けに効率の悪い仕事を回さざる負えなくなってしまう。企業は赤字では成り立たない。効率のいい仕事であっても悪い仕事であっても人手は必要だ。むしろ効率の悪い、利益の薄い仕事にこそ人手を取られているのが実情かもしれない。こうなってくると、個々人も、企業も、地方自治体も国も潤わなくなってくるであろう。かつては、競争に生き残るまで無理をしてでも働くといったこともあった。競争に勝つために利益を度外視するようなこともあっただろう。しかし、今の世の中で業界を独占するなどということは不可能だ。かつての競争相手は小さな地域の中だけのものだったが、今では日本中、ひいては世界中が競争相手なのだ。
 便利になった世の中だが、中途半端な状態で今の世間は成り立っている。土曜、日曜、祝日の労働者人口は増やしながら、労働時間の短縮を叫ぶ、団塊の世代はすでに定年を迎え労働可能な人口は減ってくる。昔の日曜日のような、多くの人が完全に休む休日を月に2日程度でも作れば少しでも労働環境は変わってくるのではないだろうか。大晦日、正月の二日間は小売店もコンビニもガソリンスタンドも飲食店も休業にするなどしてもいいと思う。そうすれば、休日に一点に集中するような人の流れも少なくなるはずだ。自由競争はいいことなのだが、過当競争は、何物にも利をもたらさない。独占禁止法がなぜあるのか、そんなところも考えてみたい。



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人手不足



暮れも押し迫っているのにバスに乗っている。
いつもより少ないが他にも乗っている人がいる。
この時間に近距離の路線バスで移動している人の多くは、仕事に向かっているのだろう。
コメダ珈琲店に車がかなり多く止まっている。
朝からコーヒーを飲みに来る人が多い。
喫茶店とはいえ、この規模の店を営業するには固定費も人件費も多くかかるだろう。
そして、人も一人や二人では営業できない。
今、働いている人は、いつか休めるのだろうか、
暮らしが平均的に豊かになって生活に必要な金は膨らんでいる。
事情があって休日など取っていられない人もいる。
現在の人手不足を解消するためには、会社での勤務時間のみを削減しても解消にはならない。
残業やボーナスを月々の給料の補填にしなければならない例も多い。
地価は安くなったとはいえ、家を買うには無理をしなければならない人が大半だ。
しかし、日本に土地がないかといえば、地方には使われていない土地も多くある。
自然環境を残したい土地もあるが、かつて開発されて現在は荒れている土地もあるのだ。

目を向ける所を変えれば無理は少なくできるだろう。
労働環境を変えるためには、もっともっと人それぞれの環境を良くしなければならない。







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IR法案



IR法案、いわゆるカジノ法案だ。
ちょうど今の国会で騒がれている。
「IR」と聞いて思い浮かんだのは、「infrared rays」(インフラレッド‐レイ)つまり赤外線だ。
なぜ、カジノを含む法案がIRになるのか、さっぱりわからなかったので少し調べてみた。
統合型リゾート(Integrated Resort)、これの略でIRというわけだ。
英語の意味もひとつではない。integratedは、統合されたという意味だが、「差別をしない。」という意味も含まれているようだ。
言葉というものは、どのように表すかによってイメージは大きく違ってくるものだ。悪意を持って言わせてもらうなら、日本語のままでは都合が悪い時に、横文字を使ったりすることもある。TTPの場合は、「環太平洋戦略的経済連携協定」では長すぎるし難しすぎるような場合に使われることもあるだろう。しかし、TTPと言われても内容はわかりにくい。TTPは、(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)か、(Trans-Pacific Partnership)の略らしい。まあ、英語のままでわかりにくい。PPAPは、Pen-Pineapple-Apple-Pen(ペンパイナッポーアッポーペン)だ。このように、わかりやすければいいのに。小阪大魔王さんは偉大だ。いやいやピコ太郎さんだった。

話が思いっきり横道に行ってしまった。そういえば集団的自衛権行使容認の閣議決定が行われる頃には多くの反対運動が起こった。シールズは今回は反対運動を行っていないのだろうか。今回のIR法案も、もっと審議が行われてもよさそうなものだと思う。IR法案自体は、2002年ころから、構想はあったらしい。2002年12月に、 「国際観光産業としてのカジノを考える議員連盟」が結成されたらしい。その後、紆余曲折を経て現在に至っているようだ。まあ、ある程度、いろいろと調べているのかもしれない。仕事や議事などといったものは水面から表に出ることは少ないから仕方ないかもしれない。
先日の、審議の中で、IR法案とは、「カジノ」を指すものではなくて、「統合型リゾート」を指すものなので、カジノのみを取り上げるのは、どうか。みたいな答弁をしていた人がいたが、もともとは、「国際観光産業としてのカジノを考える議員連盟」から始まっているのだ。「統合型リゾートを考える会」ではなかった。ちょっと答弁は、まゆに唾をつけたっぽい。だいたい、この人は、どこへ行っても何をやるにも「全力で取り組む。」と言っているが、全力で取り組むということは、他のことはできないのだ。それだけのために全力を出すことを「全力で取り組む。」と言う。力をいくつかのことに分散させるなら、それは全力とは言わない。日本語は正しく使おう。言葉の胡散臭さは、いいとしよう。今はそんなことを言っているのではない。この法案もまたも、強行採決にもっていかれることだろう。どんな法案であっても反対意見というものはある。しかし、多少の議論を交わせば違った道も見えてくるのではないだろうか。なんか、国会の法案は、1か100かみたいなのだ。ファジーではない。普通は議論の後で落としどころという、双方の歩み寄りといったものがあるのだが、それを感じさせないのが最近の国会だ。

これまでにも、いろいろと書いてきたが地方であっても発展させるための道筋をつけることは、とてもいいことだと思う。それがリゾートであっても全く問題はない。しかし、なぜカジノが必要なのだろう。カジノでなくてもいいではないか。これが意見だ。リゾートに必ずカジノが必要なものなのかどうか。他にリゾートとしてふさわしいものはないかどうか、もっと審議してもいいと思う。競輪とか競馬とか競艇、オートは公営ギャンブルのようなものだ。自治体が運営するギャンブルだ。そして、パチンコは個人で運営するギャンブルだろう。金を賭けることは認められていないため一度、景品に交換してから別の場所で換金するという、まどろこしい方法をとっているが、ギャンブルであることに変わりはない。これだけギャンブルの場があるのだから、カジノが増えたところで、どうということもないという意見もあるだろう。行かなければ依存もしないという意見もあるだろう。それは、それでいい。直接的には不利益は蒙らないかもしれない。しかし、ギャンブルは間接的に犯罪を生み出すこともありえるのだ。警察が被疑者を取り調べる場合に、大奥の犯罪で借金の有無を確認する。それは、借金が犯罪を生み出す元凶になる可能性があるからだろう。そして借金の原因の多くはギャンブルなのだ。遊行費とか言うが聞こえのいい言葉であるだけで、ギャンブルというほうが直接的なのだ。競輪場、競馬場、または、その場外馬券売り場などには人が集まってきている。地方の活性化のためにギャンブルは短絡的な方法ではある。それなりに雇用も増えるし人も集まる。外国の人が来たなら外貨の獲得につながることもあるだろう。しかし、それを建設、運営するために、どれだけの金が必要なことだろう。建物の維持管理のためだけにでも多くの人に負けてもらわなければならない。さらに従業員の給料を払うためにも多くの人に負けてもらわなければならない。お金のある人は博打で大金は使わない。だから、お金があるのだ。博打は胴元が最も儲かるようにできている。しかし、胴元になるにも、ただではできない。多くの資金が必要となる。賭ける人に楽しんでもらうとタテマエを言ったところで、負けてもらわなければ商売もなりたたないのだ。

カジノに反対する理由の多くが、「依存症の問題が解決していないから。」と言ったところで、こんな問題はいつまでも解決することはない。カジノを作る理由が地方の活性化と金(外貨)を得ることと言うなら他の手段で、これができることを探せばいいのだ。楽しいと思うこと、お金を払っても楽しみたいことというのは人それぞれなのだ。多くの人が楽しいと思うことが、みんながみんな楽しいと思うわけではない。逆もあるし。日本の自虐的な部分は、外国の人にはウケルかもしれないし。

今回の統合型リゾートの考え方では、大人の楽しむ空間は、カジノと、あらかじめ決めて他が取り繕われた感がある。しかし、世界のどこのリゾートに行ってもカジノがあるというものではない。もっとも大切なのは一部の雇用や資金獲得のために付近の住民の居心地が悪くならないようにすることではないだろうか。

一時的に繁栄した街が寂れる例は多くある。カジノなどに頼ればなおさらだろう。







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JR北海道 再生計画



残念ながら北海道の鉄道は赤字路線が多く運営に困難を極めている。

走っている列車と乗る人の比率を比べると、「仕方ない。」となるぐらいの比率である。
しかし、JRは企業である。利益を追順できなければならない。
公共投資のように利益がなくても運営させるというわけには、いかない。


北海道には、珍しいSLが走っていた。
弁慶、義経などと名前がつけられていた。
明治の時代である。独特な客車もあったのだ。
ストーブによる暖房は、今では考えにくい。



そのころの列車を模して走らせれば、JR北海道も人気が回復できるのではないだろうか。
あくまで国内需要なのだが。


人は、どこか回顧主義なのである。
昔は良かったの一言で片付けられる。
それなら、昔の再現だ。

石川啄木も北海道を汽車で旅した。



回顧できる車両が走っているなら人は集まってくる。








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本当に必要?



 電通で痛ましい出来事があった。本当に残念なことだと思う。
仕事に対する考え方は、人によっても立場によっても違う。それは当然のことであると思う。
ただ、これらの出来事で報道されて世間に知られるものは氷山の一角でしかないだろう。人の心を追い詰めるものが何かといえば、それも人それぞれだが、根本的な原因をいくつか解決することで、少しは、悲しい事件が減るのではないかと思う。
「本当に必要なの?」こんなことを考える。「昔はよかった。」などと、言われるが実際にその時代に生きていれば、いつの時代でも困難や苦難はある。昔は、みんな困難や苦難がなかったかといえば、決してそんなことはない。
現在、どこでも言われるのは人手不足だ。団塊の世代の人たちが現役を引退して、出生率が低下している現在となっては、過去と同じ人手を必要とする生産をしていたのでは、同じ品質を保ち、同じ数の生産をすることも困難になってくるだろう。人口統計のグラフを見ると、日本の人口は、2010年度頃から減少方向となっている。この先、よほどのことがなければ増加に転ずることはないだろう。しかも高齢になる方が多い。現在の日本の平均年齢は、45歳ぐらいとのことだ。このように人の数は減っていても、様々なサービスは過剰とも思えるほど増えている。平成になってから、24時間営業をするサービス業、物販店などが、どんどん増えている。コンビニなどを例にとってみれば狭い範囲に乱立しているのが実情だ。また、飲食店もそうだ。昼夜を問わず、少し探せば、どこかは開いている。スーパーも24時間営業ではないにしても営業時間はのばしている店舗が多い、コンビニにせよ、飲食店にせよ、スーパーにせよ、個々の企業が思惑を持って営業しているため、競争が起こる。それは過当競争となり、互いの力を弱めることにもなりかねない。場合によっては利益のない中で販売を続ける。本当の消耗戦だ。矢吹ジョーと、ホセメンドーサの試合のように互いが、力を出し合うのはいいが、企業間の争いの場合に双方にダメージが残るような戦いをすると、社員にも十分な利益の還元は不可能になる。しかし、自由競争の世界で戦いをやめろとも言えない。一部のルールは法にも定められているが今の日本では影響力は小さい気がする。本当に必要だろうかと考えた時に必要のない、または過当であるものを減らさなければ、今の日本の働く人の環境は変えることはできないだろう。
 わかりやすいサービス業を種として取り上げているが、これは他の業界でも多かれ少なかれある話ではないだろうか。適材適所に人員を配置できれば作業や生産性は向上するが、そんなに人があふれているわけではないのだ。そして、いくら優秀な人であっても、人一人に与えられる時間は一日あたり24時間。そのうちの勤務時間は、8〜10時間程度だ。規定の休日も必要だ。これでこのままで、労働時間は減らして給料を上げるなどという技は難しい。会社は一過性のものではならない。短いスパンなら流行に乗ったり目新しいことをやれば、あるいは、ということもあるかもしれないが基本的には難しい。風営法というものがある。これは一般的な飲食店や工場や会社には適用されない。別の目的をもって作られた法だから当然のことなのだが、これにより適用される多くの業種は、営業時間も制限される。多くの意見があることだろうが、これはこれでいいのではないかと思う。営業時間を制限することで、現在、3交代でないと立ちいかない職場を2交代で回せるようにできれば、それだけでも必要な人手は、変わってくる。不安定な職場、不安定な人員を是正しようとするなら、思い切った改革が必要だ。そこで考えねばならないのは、本当に必要なものかどうかということだ。必ずしも必要ではないものは、強制力をもってしても、縮小したほうがいいのではないだろうか。省エネ、CO2削減などが叫ばれ各社が、自分の会社の取組を声高にアピールしている。でも、24時間のうちの8時間を止めてしまえば、今より確実にCO2の排出量も減る。努力の矛先は、本当の削減より自社の優位性に向けられているのだ。戦後の日本は高度成長期を迎えた。たしかに他のことを犠牲にして仕事をした人も多くいただろう。しかし、今と比べて秩序のない働き方だったのかどうか。多くの人は夢の実現のために働いていた。敗戦という、これまでに経験したことのない不遇の生活から、文化的な生活をすることは夢だっただろう。でも、高度成長期においては必要なもの以外はあまり消費されなかったはずだ。消費しようにも無駄に贅沢なものなどなかったのだ。多くの企業の稼働時間を1/3に制限することは、自由競争の妨げと思われるかもしれない。しかし、等しく平等に稼働時間を制限すれば、それは決められたルールの中での自由競争と言えるのではないだろうか。また、売れる商品となれば、どんどん生産する、そして発売から1年も経つと、いい商品であっても希少性はなくなる。ついには廉売の商品となる。多くの稼働時間を制限すれば、物が余るほど作ることも少しは避けられるであろう。日本の優秀な家電製品が、実際の価値以下の廉価で爆買いの餌食になっている姿は悲しいものだ。
 次に移動方法についても考えてみよう。かつて日本では、2リッター(2000cc)以上の排気量の乗用車に乗っている人は少なかった。そういう車が少なかったこともあるが、自動車税も足かせとなっていた。排気量に限ると1500ccから2000ccまでの年間の自動車税は、約40,000円、2000ccを越えると、一気に倍近い自動車税を徴収された。今では、細かな区分もされて、2000ccと2500ccの自動車税の差は微々たるものとなった。移動手段の一つとしてタクシーもあるが初乗り運賃の値下げなどの施策をしているところを見ると、乗客の数は芳しいものではないだろう。だいたいタクシーって乗車定員の割には大きめの車体の車が多い。タクシーだからといえば、その通りなのだが、これも昔からの当たり前といった習慣的なものに囚われてはいないだろうか。バスや電車が発達している所以外で、本当にタクシーを必要とする人がいると思うが今の料金では、乗車するのは難しい。タクシーの乗客の数を見ていても、3人以上で乗車する例は多くない。車体を見直して、利用する人に歩み寄ることもいいのではないだろうか。同様に自家用車としての自動車も、大きなボディのものが当たり前のようになっている。家族全員でドライブに出かける機会が多いようなら、それもいい。高度成長期には、カー、クーラー、カラーテレビが生活の豊かさの三種の神器と言われた。今は、それらは揃っている。敢えて持たない人もいるぐらいだ。そして、持つ人は、さらに高級なものを求める。これも本当に必要なのか。街を走っている乗用車に乗車している人の数を数えてみればわかるが、1台当たりで平均2人も乗っていない。5人の定員の乗用車でも平均の乗車人数は、1.5人程度なのだ。もっと大々的に調査をすれば、出てくる数字は多少変わるかもしれないが、5人の乗車定員の車に5人が乗って走っているのを見かけることは、とても少ない。ボディが大きくなれば、移動するために必要な仕事量は多く必要になる。これは当然のことだ。燃費を良くする努力や排出ガスをきれいにする努力がたゆまなく続けられているのは、わかっている。以前なら、そのためにも多少は大きなボディも必要だったが今の日本の技術力なら、小さなボディに高性能なエンジンをコンパクトに搭載することも可能だろう。大きなボディの車は、乗っている人にはいいものだが、弊害も多い。日本の道路は幹線以外は狭く細く曲がりくねっている。そこに大きな車が入ってくると、いくら高性能な車でも離合は困難となり、他の小型車にも迷惑だ。大型車は駐車のための場所も広く必要だ。重量もあるため道路を傷める元にもなる。小型車と比べるとガソリンの消費量も多い。1.5リットル(1500cc)クラスの自動車でも、5人乗車は充分に可能なのだ。コンパクトな自動車が多くなれば、無駄なものは、ずいぶん削減できる。コンパクトな自動車は小回りもきくし、経済的でもある。いっそのこと、2リットル(2000cc)以上の乗用車の自動車税は過去のように高額なものにしたらどうだろう。税収が増えれば、産業の振興や働く人の環境作りにも使える。自動車メーカーも自動車税の枠を考えて自動車を製造すれば、比較的小型の乗用車が見直されるのではないだろうか。大型車は安全だという神話もあるが、現在の日本の技術をもってすれば、小型車でも充分に安全な自動車は作れるはずだ。自動車に関して別の方向から考えることもできる。国内の道路の法定速度は最高で100km/hなのだ。いたましい交通事故の一部は速度超過によって起きている。過去に国産の自動車には速度リミッターがついていた。180km/h以上は出せないように自動車で制限されていた。法定速度の最高速が100km/hなのだから、国内を走る全ての自動車に120km/h程度の速度リミッターをつければいいのではないだろうか。自動車に乗っている人の安全性を考える場合には自動車の速度が低いほうが安全に作りやすくなる。高速道路であっても渋滞が繰り返される日本の道路において過剰な最高速の性能など必要はないと思う。加速性能や馬力、制動性は安全にも貢献する場合がある、これをスポイルする必要はないが、法定速度をはるかに越える最高速の性能は本当に必要なのかどうか。その、ほとんどを定員の半分以下で動いている乗用車の無駄を省くことは、大きなメリットだ。政治家の人も、自分が乗っている自動車に関して無駄がないかどうか、考える時期なのではないだろうか。
 企業は利潤を追求しなければならない。利潤がなければ社員に還元することはできない。企業にとって最も高いのは人件費だ。しかし様々な法や制約があり、利益を上げられる人に対しても上げられない人に対しても給料は払わなければならない。しかし、現在のきつきつの生産体制では、雇用する側も雇用される側も自由にならない。責任を背負いこんだり、利益を上げることのできない人の穴埋めを強いられたり、そんなことで仕事ができる人が追い込まれることもある。適材適所など名ばかりで、とりあえずの人員配置しかできなくなってしまう。雇用者、被雇用者の双方にとって良くない環境が続く。事務処理に向く人もいれば向かない人もいる。しかし、向かない人であっても、その人以上に事務処理を的確にできる人がいなければ、その人は事務処理を強いられる。本来なら現場に出て、もっと生産性を上げられる人であったとしてもだ。合理性と言いながら今の日本は合理的でもないし、実力のある人の実力を出せる環境でもない。その問題の根幹は平等な条件の中での競争に目を向けず、今の環境の中での競争になっていることだろう。国内の産業と言いつつも経済の高揚には他国の貨幣の獲得が主要な部分を占めている。国内での確固とした基盤があれば、こんなことにはならないが、まやかしの豊かさに一喜一憂しているのが実際の姿ではないだろうか。安倍政権が始まって、「円安」が実現し「金融緩和」が行われた。輸出産業は一時潤ったが、今となっては、政権発足時とさして変わらない。マイナス金利などは、本来あってはならないことだ。国が豊かになったとすれば、国民の多数が豊かさを実感しなければならない。そして次世代のために国は健全な運営をする必要がある。しかし、実際には国の借金を未来に先送りしただけだ。消費税も増税しなければ立ちいかないほどの運営になっているが、それも簡単には実施できないのが事実だ。一般家庭でも貯蓄をするには生活の中の何かを貯蓄に回さなければならない。国も同じことだ。外貨や株価といったマジックで豊かになったと思わせても実際の貯蓄が増えているわけではない。心は敏感に反応する。貨幣にばかり頼った金融緩和策など、本当の豊かさを生み出せるものではない。無駄と無理を省くことで、外貨に頼らない豊かさも作ることは可能なはずだ。円が安くなれば輸入は潤うが、多くのものを輸出に頼っているいる日本では一般の生活は苦しくなる。逆に円が高くなって潤う人もいれば不振になる人もいる。諸外国の動向に頼りきった今の日本の経済は砂上の楼閣だ。内需の拡大によって国が富む時代ではない。むしろ、無駄を排して家庭も国も健全化させることが大切なのではないだろうか。







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